◆脱会救出を巡る裁判の判決例 (東京地裁 平成14年3月8日判決) 東京裁判:地裁→高裁→最高裁 |
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平成11年(ワ)第7723号 人格権に基づく差止等請求事件 判 決
主 文
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事実及び理由 第1 請求
第2 事案の概要
(中 略) |
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事実及び理由 第3 裁判所の判断 1 原告主張の「拉致監禁」に関わる事実関係について (1) 「第1回目の拉致監禁」に至る事情について 前記第2、2(2) の事実のほか、証拠〔甲15号証、丙1、2号証の1及び2、丙2 3、26、28号証の1及び2、原告M、被告K及び被告K子の供述〕及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。 ア 原告Mは、平成7年3月にZ信用金庫を退職して東京に転居する際、被告両親に対し、Rのもとで居住しながら資格を取得して職業に従事すると説明していたが、実際に は、前記第2、2 (2)イのような生活をしていた。 また、原告Mは、被告両親に統一協会への入会を告げた平成7年5月25日以降、被告両親に対して連絡はとっていたものの、居場所については知らせていなかった。 イ 被告両親は、原告Mから統一協会に入会したことを告げられ、前記第2、2 (2)ウのように、統一協会がいわゆる霊感商法や献金問題などで社会的に多くの問題を引き起こしている宗教団体であると認識していたため、驚き、動揺し、原告Mと統一協会の活動などについて話し合いたいと考えたが、原告Mからこれを拒否され、その機会を得られないままとなっていたところ、子供が統一協会に入会し、活動していることで苦悩している父母の会の存在を知り、この会のメンバーを通じて、反統一協会の立場から統一協会の信者に対する説得活動や信者の家族に対する支援活動を行っているT教会のI牧師の存在を知って、平成7年8月ころから、I牧師が主催する統一協会に関する勉強会に参加するようになり、I牧師の面識を得るようになった。 ウ 平成7年9月ころ、被告K子が原告Mから統一協会の講演会に誘われて出かけたところ、原告Mは真っ黒に日焼けし、体は痩せ細り、被告両親と同居していたころには60キログラム近くあった体重が38キログラムまで減ってしまったということで、疲れ切った様子であった。 被告K子は、このような原告Mの生活と健康を心配し、家に戻るように話したが、原告Mは聞く耳を持たなかった。 エ また、同じ9月ころ、被告Kは、I牧師の勉強会に参加していた父母から、統一協会の信者が協会から課せられたノルマを果たすために、家族の預金などに手を出すことがあるという話を聞かされた。被告Kは、前記第2、2 (2)アのとおり原告MがZ信用金庫に就職したことから、同信用金庫H支店に自己名義で預金をしていたので、これを確認したところ、原告Mが、未だ同信用金庫に在職中の平成6年ころ、被告Kに無断で上記預金を解約し、又はこれを担保に借入れを行って、約220万円を引き出していたとの事実が判明した。 オ 被告両親は、上記アないしエのように、原告Mが、被告両親において、いわゆる霊感商法や献金問題などで社会的に多くの問題を引き起こしている宗教団体であるという認識を持っていた統一協会に加入した後、両親に嘘を言って東京に出て、その所在が分からなくなってしまったこと、その後、原告Mが痩せ細って、生活に疲れた様子でいることを知るとともに、父親の預金を無断で引き下ろしていた事実を知ったことなどから、I牧師の協力を得て、原告Mと、統一協会の教義や活動の問題点などについて時間をかけてじっくり話し合い、これを原告Mが統一協会に対する信仰を考え直すようになる機会としたいと考えるに至った。 しかし、原告Mの所在は依然不明のままだったので、被告両親は、平成8年3月ころ、地元の警察署に捜索願を提出した。 (2) 「第1回目の拉致監禁」について 前記第2、2 (3)の事実のほか、証拠〔甲15号証、乙20、29号証、丙1、12 号証、証人T、証人I牧師、原告M、被告K及び被告K子の供述〕及び弁論の全趣旨によれば、次の事実を認めることができる。 ア 被告両親は、平成8年4月下旬ころ、鴻巣市の運転免許センターから原告M宛の運転免許証の更新手続を通知する葉書が被告両親宅に届いたことなどから、被告両親は、原告Mがその誕生日である5月21日までの間に更新手続をするため運転免許センターに現れるものと考えた。そこ で、被告両親は、この機会に前記 (1)オのような原告Mとじっくり話し合う機会を設けたいと考え、同年5月13日ころ、その「話合い」の場とするため、マンション515号室を賃借した。 また、被告Kは、警察署に対しても、原告Mが運転免許センターに現れる可能性があることを連絡した。 イ 原告Mは、同月20日午前9時前ころ、運転免許証の更新手続のため鴻巣市の運転免許センターを訪れ、更新手続をとった。被告両親は、同センターから原告Mが来所している旨の連絡を受けて、親族らと連絡をとり、同センターに赴いて、救護室で待機した。 原告Mは、同日午前11時30分ころ、同センターの職員により上記救護室に案内された。そこには、被告両親とOら7名の親族が待機していて、原告Mに対し、話合いのための場所を用意してあるので一緒に行ってほしいと話した。 原告Mは、同センター内で特段の騒ぎを起こすこともなく、被告両親、上記親族ら及び外で待機していたGほか数名の親族とともに、被告両親が用意した車に乗り込み、午後2時30分ころ、マンションに着いた。 ウ マンション515号室の間取りは別紙添付図1のとおりであったが、玄関扉の防犯チェーンには南京錠がかけられ、その鍵は被告K子が身につけた状態で所持していて、原告Mには渡されていなかった。また、同室内からベランダに通じる扉は開かないようになっていた(なお、ベランダに通じる扉にこのように細工をしたのが被告両親であったこと、窓が防弾ガラスになっていたこと、同室が統一協会信者に対する監禁場所として常習的に使用されていたことを認めるに足りる証拠はない。)。 エ 原告Mは、マンションに来た後は働きに出ることはなく、家事を手伝うだけであ り、また、食事は被告両親と一緒にとるものの、昼間は寝て、深夜に音楽を聴いたり外国語のテープを聴いたりするなどして過ごしていた。 しかし、しばしば、トイレに入ったまま長時間出てこないで、被告両親らとの対話を避ける行動に出たりしたこともあった。 オ 原告Mは、同年6月2日、窓ガラスをハンドバックで割ろうとしたが割れず、今度はCDラジカセで叩き割ろうとしてこれを持ち上げたところで、身体ごと被告両親に取り押さえられた。 カ 被告両親は、原告Mに対し、統一協会の教典である原理講論の内容を牧師と一緒に勉強してはどうかと提案したところ、原告Mもこれを了承した。そこで、被告両親は、I牧師に連絡して、マンション515号室への来訪を要請した。 これに応えて、同月19日、I牧師が初めて同室を訪れ、以降、合計5回にわたって、統一協会の教義につき資料を提示して検証することを重ねた。また、原告Mは、I牧師に対し、統一協会での自己の活動状況を詳細に説明することもした。 キ 同月30日には、統一協会を脱会した元信者の女性がマンション515号室を訪 れ、原告Mとしばらくの間会話をした。その後、原告Mは、この女性や被告両親、Oらとともに外出した。 なお、原告Mが外出するのは、同室で起居するようになって以降これが初めてであり、この後は何回か外出する機会をもったが、その前後を通じて、同室から1人で外出したことはなかった。 ク 原告Mは、Y教会に移るまで、マンション515号室に留まったが、その間、常に被告両親ないし親族の誰かが原告Mと一緒におり、原告Mが1人になることはなかった。 ケ 原告Mは、前記第2、2 (3)ウのとおり、同年7月7日、Y教会に移り、同教会の宿泊施設で起居していたが、同月10日午前2時ころ、誰にも断ることなくY教会を抜け出し、統一協会の青年ホームチャーチのスタッフの案内で、東京都三鷹市内にある統一協会のホームチャーチに入った。 (3) 「第2回目の拉致監禁」について 前記第2、2 (4)及び (5)の事実のほか、証拠〔甲15、31号証、乙21、22、 24、67号証、丙1、4、12号証、証人O、被告S、被告K及び被告K子の供述〕及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。 ア 原告Mは、前記 (2)ケのように、平成8年7月10日、Y教会を出て統一協会のホームチャーチに戻った後は、被告両親に自分の居場所を知らせず、被告両親には原告Mの消息が不明の状態が続いていた。 ところが、平成9年5月21日、原告Mが群馬県高崎市内で自動車の追突事故を起こしたため、この事故に伴う保険金の支払などの関係で、被告両親と原告Mは、再び会うようになった。 そして、同年6月、被告Kは、原告Mから、統一協会のホームチャーチから退去するように言われているので、アパートを借りるのを援助してもらいたいと頼まれ、前記第2、2 (4)のように、原告Mが昭島を賃借するについて連帯保証人となり、さらに敷金等の費用を負担し、また、アパートで生活を始めるために必要な洗濯機、テレビ、電話等の生活用品を取りそろえてやり、交通の便も考えて、自転車も買い与えてやるなどした。 イ 原告Mは、昭島に居住するようになって以降、被告両親には統一協会には通っていないと話し、以前よりは被告両親とも電話などで話をするようになっていた。しかし、被告両親は、原告Mが平成10年の正月にも実家に戻って来なかったことなどから原告Mが体調を壊していることを知り、統一協会の活動などにより身体を酷使しているのではないかと心配して、原告Mが統一協会に対する信仰から確実に脱け出すことができるように、統一協会の教義や活動の問題点などについて、今一度原告Mとじっくり話し合い、考えさせる機会を設けたいと考えるに至った。 ウ そして、被告両親は、W牧師から、被告両親宅に近いOH教会で、I牧師らと同様の活動を行っている被告Sの存在を知らされ、その連絡先を教えられていたことから、平成10年4月上旬ころ、被告Sに連絡をとり、原告Mについて相談するようになった。 エ ところで、被告Kは、昭島には原告Mが別の統一協会信者を同居させているため、同所で「話合い」をすると他の統一協会信者に妨害されるおそれがあって適切でないと考えたことから、平成10年4月下旬ころ、このことについて被告Sに相談したところ、以前に娘が統一協会に入会していたという経歴を持つ不動産管理業者のMTを紹介され、同人からハイツ202号室を紹介してもらった。 オ 平成10年5月16日午前8時30分ころ、被告両親及びOら複数の親族が昭島を訪れたところ、原告Mが同居させていた女性が応対に出て、そのまま外出した。そこで、被告両親が原告Mの居住する108号室に入ったところ、原告Mは、被告両親にお茶を出すなどして応対した。 その後、他の親族らも加わり、原告Mに対し、話合いのための場所を用意してあるので同行してほしいと説得した。原告Mは、被告両親及び親族らに強く同行を求められたことから、不承不承自ら身の回りの品を旅行鞄に詰めてまとめ、着替えをして、被告両親、上記親族ら及び外で待機していたGとともに、被告両親が用意した2台の車に分乗して、同日午前11時30分ころ、ハイツに到着した。 カ 原告Mが起居することとなったハイツ202号室の間取りは別紙添付図2のとおりであったが、玄関扉には元々普通の鍵と防犯チェーンが取り付けられていたほか、普段は防犯チェーンには南京錠がかけられ、その鍵は被告K子のみが身につけた状態で所持していて、原告Mには渡されていなかった。また、部屋の窓ガラスには、破損時に破片が飛散するのを防止するためのフィルムが貼られていた(なお、この部屋が統一協会信者に対する監禁場所として常習的に使用されていたこと、窓が開けられないように細工されていたことを認めるに足りる的確な証拠はない。)。 キ 原告Mは、ハイツに来た当初は興奮状態で、部屋の壁に穴を開けて壊したり、食事をとらなかったり、トイレに入って内鍵をかけたまま出てこなかったりする等の行動をとったりしていた。 ク 同月20日に至って、原告Mの態度が軟化してきたことから、被告両親は、原告Mに対し、統一協会の原理講論の内容を牧師と一緒に勉強してはどうかと提案したところ、原告Mもこれを了承した。そこで、被告両親は、被告Sに連絡を取り、ハイツ202号室への来訪を要請した。 これに応えて、被告Sは、同月21日、同室を訪問した。原告Mは、当初、自分は統一協会と関係がないからなどと反発していたが、数回の訪問を経るうち、被告Sとの話合いに応じるようになった。 その後、被告Sは、同年7月22日までの間に、前後20回にわたってハイツ202号室の原告Mのもとを訪れ、原告Mに統一協会の教義等の問題について考えさせるための機会を持った。その間、被告Sは、日本基督教団Q教会のNK牧師を3回同行したことがあるほか、かつて原告Mと共に活動したことのある元信者のKAや、被告Sから統一協会の教義や活動の問題点について説明を受けていたmら他の統一協会の信者を同行したこともあった。 ケ 原告Mは、原告Aとともに国際合同結婚式に参加していたこと(前記第2、2 (4)イ)を被告らに隠しており、被告らに対し、そのような事実はないと虚偽の説明をしていたが、同年7月8日、被告Sは、mから原告Mが上記のように国際合同結婚式に参加した事実を聞き知った。そこで、被告Sは、同日、ハイツ202号室を訪れた際、原告Mに対して、なぜ嘘をついていたのかと詰問したりしたが、原告Mは、被告Sの問いかけに対して正面から向き合って考えようとはしなかった。 コ ハイツ202号室での原告Mの生活ぶりは、マンション515号室にいた当時(前記 (2)エ)とほぼ同様であったが、原告Mのそばには、前記サのとおり同室から脱出するまでの間、常に被告両親ないし親族の誰かがおり、原告Mが1人になることはなかった。 また、原告Mは、同年6月8日に被告Sと同行してきた元統一協会信者のKSとともにドライブに出かけたのを最初に、何回か同室から外出することはあったが、1人で外出したことはなかった。 サ 原告Mは、同年7月26日、部屋に独り残っていた被告Kがうとうとしていた隙をねらって室外に脱出しようとし、2階の窓からベランダに出て、雨樋のパイプづたいに 降りようとしたところ、パイプが折れ、原告Mは足から地面に落ち、尻餅をついた。しかし、原告Mは、そのまま逃げ、東京都内の統一協会のホームチャーチに入った。 シ その後、原告Mは、被告両親のもとに帰ることはなく、被告両親に自分の居場所を知らせたのは、原告らが連れ立ってアメリカ合衆国に渡航した後の平成10年10月末ころであった。 |
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事実及び理由 2 被告Sに対する損害賠償請求について (1) 被告Sの被告両親との共謀の有無について ア 前記1 (3)に認定した事実によれば、被告Sは、被告両親から原告Mが統一協会の信者として活動していることについて相談を受け、これに応じており、被告両親に対して不動産管理業者のMTを紹介し、被告両親の要請に応じて、「第2回目の拉致監禁」中、しばしばハイツを訪問し、原告Mと統一協会の教義の問題等について話をしたところであるが、これらの事実のみによっては、原告らが主張するように、被告Sが、被告両親に対し、原告Mを拉致監禁して統一協会からの脱会を強要するように指導し、共謀したとの事実を推認することはできない。 イ また、前記1 (3)に引用の証拠によれば、平成10年5月21日以降の原告Mの被告Sに対する態度は日によって相当程度対応の在り方が異なってはいたが、原告Mは、全体としてみると、少なくとも被告Sの話を聞き、統一協会の教義の問題について改めて勉強してみようという素振りは見せていたこと、特に同年7月8日以降は、統一協会から脱会する気持ちになったかのような行動をとり、被告両親に対しても打ち解けたような態度をとりはじめたこと、6月6日から7月15日にかけて話をする機会のあった統一協会の信者あるいは元信者らに対しても、被告らから監禁され、統一協会からの脱会を強要されている等を訴えてはいないことが認められるのであり、これらの事情からすれば、その都度ハイツを訪問するだけで原告Mと起居を共にしていたわけでもなく、玄関扉の防犯チェーンに南京錠がかけられている状態をみていないものと認められる被告Sにおいて、原告Mが、その意思に反して被告両親によりハイツ202号室に留め置かれているとの認識を持ちながら、これを容認していたものと推認することも困難であるというべきである。 ウ 原告らは、ハイツ202号室は元々不動産業者のMTが自分の娘を被告Sの説得によって統一協会から脱会させるために改造したものを、引き続き被告Sにおいて統一協会信者に対する拉致監禁、脱会強要を行うために管理利用していたものであり、部屋の窓の細工は被告Sの許可がなければ被告両親において取り外せなかったこと、別紙添付図2のCの部屋は被告Sが統一協会関係の資料を保管するために継続的に使用していたことからして、被告Sと被告両親との共謀は明らかであると主張するけれども、そもそも、ハイツ202号室が統一協会信者に対する監禁場所として常習的に使用されていたこと、窓が開けられないように細工されていたことを認めるに足りる証拠がないことは、前記1 (3)カのとおりであり、その他、本件においてこれら主張の前提事実を認めるに足りる的確な証拠はない。 エ なお、原告らは、被告Sが、被告両親に対し、原告Mを拉致監禁して統一協会からの脱会を強要することを指導し、共謀したとの事実を推認させる事情として、被告Sの所属する日本基督教団が統一協会を組織的に壊滅することを目標として掲げ、そのための手段として拉致監禁、脱会強要行為を全国的・組織的に、反復継続して行ってきたとの点を挙げ、本件もその一環として行われたものであると主張する。 証拠〔甲45号証の9、11ないし14、17ないし19、甲57、80、82、88号証、乙26、27、32号証〕によれば、日本基督教団は、統一協会の活動を憂慮し、その実態を広く人々に知らせ、被害者たちの叫びを聞き、教会の重要な活動の一つとしてこれに取り組むとの趣旨の声明を発表し、「統一原理問題連絡会」のメンバーを中心として、統一協会の信者に対する活動やその家族に対する支援を行っていること、被告Sも 「統一原理問題連絡会」のメンバーの一人であること、日本基督教団は、本件訴訟に関して被告Sを支援する旨を表明していることが認められるが、それ以上に、日本基督教団 が、統一協会の信者を拉致監禁して脱会を強要することを組織的に行い、又はこれを容認しているものとまでは認められないし、その他、本件全証拠を総合しても、上記原告らの主張事実を認めることはできない。 オ 以上のとおり、被告Sが、「第2回目の拉致監禁」の実行について被告両親を指導し、これを共謀したとの事実は認めることができないから、被告両親の上記行為に関する評価のいかんにかかわらず、この点に関し被告Sに不法行為が成立する余地はないというべきである。 (2) 被告Sの原告Mに対する脅迫・暴言の有無について ア 原告らは、前記第2、4 (1)イ(オ)のとおり、被告Sが原告Mに対し暴言や脅迫を繰 り返すなどしたと主張し、原告Mは概ねこれに沿う供述をする。また、原告Mの日記(甲79号証の2)の中にも、その趣旨の記述があることが認められる。 これに対し、被告Sは、原告Mに対し暴言ないし脅迫的な言葉を吐いたことを否定する趣旨の供述をするが、証拠〔甲32、34号証〕によれば、原告Mが、被告Sに宛てた平成10年10月29日付けの手紙(甲32号証)において、「S牧師は群馬のアパートで『一生鉄格子に入ってろ』『鉄格子ではナマッチョロイ。独房だ』などと何度か言われましたが、こうした発言は牧師として適正な発言であったと思われるのでしょうか?」と尋ねたのに対し、被告Sは、原告Mに返信した1998年11月24日付けの手紙(甲34号証)において、原告Mに対しこのような発言をしたこと自体は否定せず、むしろこれを前提として、発言の真意を説明しようとしていることが認められ、このような事情に照らすと、少なくとも上記引用の発言については、そのような事実があったものと認めるのが相当である。 イ しかしながら、上記手紙(甲34号証)の記述及び被告Sの供述に照らせば、被告Sの上記引用の発言は、原告Mが被告両親に対して嘘を重ねてきたことに対し、被告S が、嘘をつくことは悪であり、罪であるとの自己の認識を、嘘つきを犯罪者になぞらえて上記のような表現方法をとったに過ぎないものと認められるから、それは、発言それ自体としては穏当性を欠くものというべきであるが、損害賠償請求権を発生させるほどの違法性を帯びたものということはできないというべきである。 ウ 原告Mは、上記アに摘示したところ以外にも被告Sから暴言を吐き連ねられたなどと供述するが、反対趣旨の被告S及び被告両親の供述内容に照らして採用することはできず、他にこれを認めるに足りる的確な証拠はない。 (3) 被告Sの原告Mに対する暴行の有無について ア 原告Mは、前記第2、4 (1)イ(カ)のとおり、平成10年7月8日に被告Sから暴 行を受けたと主張し、その主張に沿う供述をする。また、原告Mの日記(甲79号証の 2)の中にも、その趣旨の記述があることが認められる。 これに対し、被告Sは、原告Mの肩に手を置いて注意を喚起しただけであり、原告Mが主張するような暴行を加えた事実はないと供述し、その場に居合わせた被告Kも、これに沿う供述をする。しかしながら、一方で、被告Sは、本件訴訟が提起される前に原告Mに宛てた1998年11月24日付けの手紙(甲34号証)においては、被告Sが、原告Mの両肩を押して、原告Mが被告らに対し国際合同結婚式に参加していないと嘘をついていたことに関し注意を喚起したこと、その際には、原告Mが嘘をついていたことに対しての被告Sの率直な感情が伴っていたということを認めるとともに、「あなたの手紙には、 『3回』と書かれてあるが私の記憶でも両親の記憶でも、それは事実と反する嘘です。」などと記しており、原告Mに対して有形力を行使した事実自体を否定する記述はしていないことが認められる。 このような証拠関係と弁論の全趣旨に照らせば、回数の点は別として、被告Sが原告Mの肩を両手で強く押した事実、及び、被告Sが座布団を手に持って、これを原告Mの顔に当てたとの事実は存在したものと認めるのが相当である。 イ しかしながら、証拠〔甲34号証、79号証の2、原告M、被告S及び被告Kの供述〕によれば、被告Sが上記のような行動に出たのは、被告Sにおいて、原告Mが原告Aとともに国際合同結婚式に参加したとの事実をmから聞き及び、原告Mが被告両親にも被告Sにもこれを否定してきていたのが嘘であったことを知って、嘘は犯罪であるということ、嘘をつかれていたことを知った時に人がどれほど憤慨するかということ、嘘をつくことは信頼している人の信頼を裏切ることであるということを原告Mに知らせなければならないと思い、原告Mを諭したのに対し、原告Mが真剣に話を聞こうとしない態度をとり続けたため、話をきちんと聞くようにと注意を喚起しようとしたものであると認められるのであり、原告Mも、被告Sの上記の行為によって特に恐怖を感じたわけではなかったこ と、その場に居合わせた被告両親やOにおいても、被告Sの挙動を制止しようとする気持ちが生じるような状況ではなかったことが認められる。 これらの事情を併せて考慮すれば、被告Sのとった上記アの行動は、外形的には原告Mに対する有形力の行使であり、それ自体としては穏当性を欠くものであったことは否定できないものの、それが損害賠償請求権を発生させるほどの違法性を帯びた行為であったとまでは認めることができないというべきである。 |
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