◆損害賠償請求事件 東京高裁判決(平成15年8月28日)
(青春を返せ訴訟))

東京高裁
平成15年8月28日判決言渡
平成14年(ネ)第4993号 損害賠償請求控訴事件
平成15年5月13日口頭弁論終結

判 決

東京都渋谷区松濤1丁目1番2号
控訴人 世界基督教統一神霊協会
同代表者代表役員 小山田 秀 生
原  告 鐘 築   優

東京都三鷹市
被控訴人 大 倉 文 明

福岡市西区
被控訴人 T ・ W

東京都杉並区
被控訴人 M ・ 恵 子

上記三名訴訟代理人弁護士
伊 藤 和 夫
山 口   広
紀 藤 正 樹
渡 辺   博
大 神 周 一
平 田 広 志

主    文

1 本件控訴を棄却する。
2 訴訟費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

(中 略)

第3 当裁判所の判断
 当裁判所も、被控訴人らの本件請求は、原判決が認容する限度で理由があるものと判断する。その理由は、次のとおり付加、訂正するほかは、原判決事実及び理由欄の「第3当裁判所の判断」のとおりであるから、これを引用する。

(中 略)

 控訴理由にかんがみ、次のとおり補足する。
(1)  控訴人は、控訴人の教義である万物復帰の教えとは、信仰者が個人として神に仕え、物を捧げることによって、神と人間と万物の創造原理的な関係を復帰していくという内的な精神をいうものであり、これを経済活動を行って金銭を儲けたり、詐欺的な手段を用いて他人の財産を奪い取るような行為をすることを正当化するための教えとして解釈できる余地はない上、控訴人は現在収益事業を全く行っておらず、教会の維持・運営の経費は信者の個人献金によって賄っているのであり、信者組織が行っているという一連の入教勧誘・教化過程(ビデオセンターにおけるビデオ受講、ツーデーズセミナー、スリーデーズセミナー又はライフトレーニング、フォーデーズセミナー、新生トレーニング、実践トレーニング、献身に至る過程)において、控訴人の教義である万物復帰の教えの実践活動として物品販売活動が行われているといった事実はなく、また、上記の一連の入教・教化行為が控訴人の活動として明示的、黙示的に許容されているものでも、控訴人の実質的な指 揮監督下に置かれているものでもない旨主張する。
 しかし、原判決に記載された争いのない事実等、原判決挙示の各証拠及び被控訴人らが当審で提出した甲第241号証(札幌高裁判決―編集部注)によれば、上記一連の入教勧誘・教化行為は、控訴人の活動として明示的・黙示的に許容され、控訴人の実質的な指揮監督下に置かれているものであると認められるのであって、控訴人が発行する中和新聞が、控訴人の公式活動だけでなく、信者一般の活動をも報じていたり、控訴人の信者の中には上記の入教勧誘・教化行為によらないで信者となった者があったとしても、何ら上記の認定を左右するものではない。
 また、控訴人は、万物復帰の教えとは、信仰者が個人として神に仕え、物を捧げることによって、神と人間と万物の創造原理的な関係を復帰していくという内的な精神をいうものである旨主張するけれども、その内容は抽象的であって、実際には、新生トレーニング、実践トレーニング等において、万物復帰の実践として物品販売活動等が行われ、当該活動等の意義を万物復帰の教えと関連付けて説く講義が行われていたものであることが、前記各証拠によって認められる。したがって、控訴人の上記主張は採用することができない。

(2)  控訴人は、上記の入教勧誘・教化行為には違法性がない旨述べて、次のとおり主張するの で、判断する。

(控訴人の主張)―略
(判 断)
 原判決に記載された争いのない事実等及び原判決挙示の各証拠によれば、上記の一連の勧誘・教化行為の目的は、控訴人のため献金及び無償で物品販売活動等を行わせること及びそのような行為をする控訴人の信者を再生産することによって経済的利益を上げることにあったものと認められるのであり、被控訴人らに対する勧誘・教化行為の目的も同様であって、献身後、過酷な伝道活動や物品販売活動に従事できる者を獲得することにあったものと認めることができる。そして、その勧誘に当たり、上記の目的を隠し、かつ教義とは関係がない先祖の因縁話や霊界の先祖からの働きかけ等の話をしたり、心理的弱みを突いて不安をあおり、ある程度教義を教え込んだ後は、控訴人の教義を知った者がこれから離れると、より罪が重くなり、死後霊界で低い場所に行って苦しむとか、先祖の救いの道が絶たれ、霊界で先祖に讒訴されるなどと述べて、控訴人の教義から離脱することを困難な精神状態にして献身させたものと認められるのであるから、そのような勧誘・教化行為は違法であるといわなければならない。
 控訴人は、被控訴人らは統一原理を学ぶに従って控訴人の教義に感銘を受け、次のステップに進んでいったのであり、勧誘・教化行為によって畏怖困惑させた事実はない旨主張し、被控訴人らが紹介者等に送った手紙等の記載内容がその証左である旨主張するが、被控訴人ら本人の原審供述及び甲第232、第233号証、第237号証並びに弁論の全趣旨によれば、被控訴人らは、消極的な気持ちを持てば先祖が救われないとか、恐怖を持って活動するのはいけないとか、手紙に不安と恐怖を書くことはカイン的行為であり、神から離れる行為であるなどと言われ、霊の親やアベルに宛てた手紙等には、恐怖心を隠し、自分を奮い立たせるような内容や感謝の気持ちを書いていたものであることが認められるから、上記の各書証は、被控訴人らが勧誘・教化行為によって畏怖困惑させられたことを覆すには足りない(なお、上記のとおり、控訴人が指摘する上記の各書証は、勧誘・教化行為によって被控訴人らが畏怖困惑させられたことの反証たりえないということであって、この認定にかかる事実が、反証可能性のない非科学的な命題であるということにはならない。)。
 また、被控訴人らが宗教に救いを求めなければならないような苦悩があったわけではなく(被控訴人らは、控訴人の信者らの勧誘により、ビデオセンターが控訴人の教義の伝道活動を行っているとは知らないまま、ビデオ受講を受けるようになったものである。)、被控訴人らの恐怖心は、上記の勧誘・教化行為によって植え付けられたものであって、もともと被控訴人らの心の中に内在したものではなく、また、被控訴人らが献身した時の精神状態が、回心と呼ばれる宗教的体験と同じであるというべき根拠もない。

 控訴人は、罪悪感や恐怖心を植え付けられたという被控訴人らの主張が仮に真実であったとしても、そこで告知されている害悪は、それを語る者の力の及ばない超自然的なもの、あるいは、目に見えない無形世界に関することであり、具体的な害悪を直接的に告知して相手を脅したことにはならないとか、それを信じずに一笑に付せば何の不安も感じる必要のない類の話であって、違法行為を構成するものではないと主張するが、被控訴人らがそのような害悪の告知によって恐怖心を抱くに至ったのは、因縁話や心理的弱みを突くなどの方法を使用した上記の勧誘・教化行為によるものであって、この事実は、被控訴人らが上記の勧誘・教化行為によって正常な判断力、批判精神を失うに至ったことの証左というべきであり、そのような勧誘・教化行為が違法であることは明らかである。ビデオ受講者の中には献身までいかなかった者も相当数に上るといった事実があったとしても、この認定判断が左右されるものとはいえない。

 控訴人は、教義の伝道の手段・方法の選択及び決定は、宗教団体あるいは信者に任されるべきものであって、教義の布教において、直接教義に関係のない姓名判断や家系図判断が使用されたとしても、その中で読みとれる事実が話されるならば、それは伝道の方法として許されるべきであり、その方法に司法が介入することは許されない旨主張する。しかし、前示のような不当な目的があることを隠し、宗教団体の勧誘・教化行為であることを明確に答えなかったり、これを否定したりした上、何ら科学的・合理的根拠のない姓名判断、家系図判断(控訴人は、「姓名判断や家系図判断の中で読みとれる事実」などという表現もするが、科学的・合理的根拠のないものであることには何ら変わりがない。)を勧誘の方法として利用することは、社会的相当性を欠くものといわなければならない。他者の救いや幸福のため宗教の伝道を行うものであれば、これを隠すような合理的理由があるとは考えられないところである。

 原判決が認定するとおり、物品販売活動等 については、実績が重視され、これに従事して いた献身信者は、過酷な生活を送っていたものであって、「班長マニュアル」である甲第65号証もその反証にはならない(かえって、この「班長マニュアル」に、信者の睡眠時間についてわざわざ「4時間以上とし、」と記載されている事実に照らせば、献身信者の中には睡眠時間が4時間に満たない者もいたことがうかがわれるのであり、そして、4時間程度の睡眠時間では健康を維持するのに十分であるとはいえないところ、上記の記載は睡眠時間4時間であれば一応その基準を充足するという趣旨であると解されるから、「班長マニュアル」のこの点の記載が、信者の健康を配慮したものであるということは到底できない。また、この「班長マニュアル」には、実績管理は心情管理であるとした上、「反省会では熱い心情とクールな実績と言われるくらい、外的実績の把握が大切である。」とか、「数字は嘘をつかないので、数字を通して兄弟の心霊管理ができるよう心がけること。」と記載されており、心情管理とはいいながら、実際は実績を重視する考え方が述べら れているのであって、この証拠によっても、献身信者らの活動について心情至上主義が採用されていたとは認めることができない。)。また、この物品販売活動は、客観的には信者らに過酷な条件が課された利潤追求行為にほかならないところ、信者らは、上記のような勧誘・教化行為によりこれが宗教的な意味がある行為であるかのように教え込まれていたのであるから、このような活動に従事する信者を再生産するために伝道行為を行うことに正当な目的があるとは認めることができず、違法行為に当たるものというべきである。なお、控訴人の信者らに障害者が含まれていたとしても、これによって、この勧誘・教化行為が不当な目的を有していたとの認定が左右されるものとはいえない。

 控訴人は、「アベル・カイン」の教えは、組織論ではなく、信仰生活上の人間関係を通して自己の内面を成長させていくための宗教的な教えであると主張するが、原判決が、事実及び理由欄の第3、3(2)、エ(イ)で説示するとおり、献身信者の間において、この教義が控訴人が主張するような宗教的教えであると一般に解釈されていたものではない。この教義は、実際の信者の行動に関する指針として、信者が上司ないし先輩に服従することであると教えられ、理解されていたものであり、信者らの実践活動の場においては、一般信者らは班長等の命令に従うべきであるという行為準則としての役割を果たしていたものである。

(3)  控訴人は、被控訴人Tに対する献金強要、被控訴人大倉、同T、同Mに対する合同結婚式への参加強要の事実はなく、この点の同被控訴人らの原審供述や陳述書の記載は、上記の手紙の内容や他の者の証言に照らして虚偽の事実を述べたものであると主張する。しかし、被控訴人Tの陳述書(甲第78号証)の記載に時間の経過による記憶違いと考えられる部分があったとしても、同被控訴人が、控訴人の教義とは直接関係のない日本が朝鮮半島を植民地支配していた時代のビデオを見せられて、同じ日本人としての罪悪感を持たされた上、霊界の先祖が救いを求めているなどと執拗に言われて困惑し、預金全部を献金したとの同陳述書の記載及び同被控訴人の原審供述部分は信用できるものというべきである。また、合同結婚式への参加については、控訴人の教義上合同結婚式が、人間がアダムとイブから受け継いだ原罪から解放されて救済が実現する唯一の方法であるとされていることや、原判決が、事実及び理由欄の第3、3(4)で説示する事情に照らせば、これを拒否することが著しく困難であったと認められ、被控訴人大倉、同T、同Mについて合同結婚式への 参加を拒否する自由があったとはいえない。原判決が説示するとおり、被控訴人らは、控訴人の教義により、自分は堕落した人間であって、自分の考えや行動はサタンの働きであるとか、堕落エバの行為であるなどとして否定され、救いのためには自己の判断で行動してはならず、アベルの指示に従わなければならないと教えられた上、この教義を断ち切ることができない状態にあって、正常な判断力を失っていたものであるから、被控訴人らに個々の場面で外形的には承諾を与えたような行為があったとしても、これをもって自由な意思に基づく行為であると いうことはできないものである。

第4 結 論
  よって、原判決は相当であって、本件控訴は理由がないから、これを棄却し、控訴費用は控訴人に負担させることとして、主文のとおり判決する。
東京高等裁判所第四民事部 
裁判長裁判官 矢 崎 秀 一
裁判官  橋 勝 男
裁判官 西 田 隆 裕