◆東京第4検察審査会審査事件
(東京第四検察審議会 平成22年10月6日 )

平成22年東京第4検察審査会審査事件(申立)第15号
 申立書記載罪名 逮捕監禁致傷,強要未遂
 検察官裁定罪名 逮捕監禁致傷,強要未遂
 議決年月日 平成22年10月6日

           議 決 の 要 旨
 審査申立人 後 藤   徹
 審査申立代理人弁護士 福 本 修 也
 被疑者(1) 後 藤 啓 子
 被疑者(2) 後 藤   隆
 被疑者(3) 後 藤 洋 子
 被疑者(4) 青 柳 雅 子(旧姓 後藤)
 被疑者(5) 松 永 堡 智
 被疑者(6) 宮 村   峻

不起訴処分をした検察官
     東京地方検察庁 検察官検事 伊 藤 俊 行

  上記被疑者らに対する各逮捕監禁致傷,強要未遂被疑事件(東京地検平成21年検第2266号,2267号,2268号,2269号,2270号,2271号)につき,平成21年12月9日上記検察官がした各不起訴処分の当否に関し,当検察審査会は,上記審査申立人の申立てにより審査を行い,次のとおり議決する。

           議 決 の 趣 旨
  本件各不起訴処分はいずれも相当である。

           議 決 の 理 由

1 被疑事実の要旨
 被疑者等は共謀の上,申立人を逮捕・監禁した上,強いて世界基督教統一神霊協会(以下「統一教会」という。)から脱会させようと企て,平成7年9月11日ころ,東京都西東京市内の後藤尚美方において,申立人の両脇を抱えて身動きを封じて逮捕し,同所から屋外に連行してワゴン車に乗車させ,同月12日ころ,新潟県内のマンションの一室内に連行して同所から脱出を困難ならしめて平成9年12月末日ころまで監禁し,引き続き,そのころから平成20年2月10日ころまでの間,申立人を東京都杉並区内の荻窪フラワーホーム804号室に監禁し,よって,申立人に全身筋力低下,栄養失調,貧血等の傷害を負わせるとともに,脅迫して棄教を強要したが,申立人が拒否したため,その目的を遂げなかった。

2 検察官の不起訴処分の理由
  各嫌疑不十分

3 検討結果

(1)逮捕,監禁罪について
 後藤尚美(以下「尚美」という。)宅からパレスマンション多門607号室 までについて

 申立人は被疑事実記載の日に,尚美宅で尚美と被疑者後藤隆(以下「隆」という。)に両脇を抱えられ,引きずるようにして家を出され,ワゴン車に乗せられた。車内では両脇を挟まれて座らされた。トイレに行きたいと言っても拒否され,車内で簡易トイレで用を足さざるを得なかった。パレスマンション多門前に着いて607号室に入るまで両脇を抱えられ,引きずられるようにして連れて行かれたと述べている。

 これに対し被疑者らは,申立人を無理矢理連れて行っても話しにならないので,1時間半から2時間くらい家族で話し合い,しぶしぶではあったが申立人が行くことを承諾してパレスマンション多門に行ったものであり,逮捕も監禁もしていないと述べている。

 検討した結果は次の通りである。

 申立人は,家から引きずられて家を出る際,靴を履いたか否か記憶がないと述べている。尚美宅からワゴン車までの距離は10メートル弱で,この間を引きずられるようにして裸足同然の状態で歩いたとなれば,当然記憶として残るものと考えるが,記憶がないということは靴を履いたものと考えられる。そうであれば同行を拒否し,引きずられてという主張には疑問がある。

 尚美宅は,閑静な住宅街にあり,公道から10メートル弱の私道を奥に入った袋小路の突き当たりにあり,私道の両脇には,後藤宅の他に3軒の住宅がある。公道に出ると公道に面した家々が建ち並んでいる。尚美宅を出た時間は午後9時前後ころであるから,申立人が大声を出して救助を求めることは容易にできたのに,行っていない。ワゴン車で待機していたA及び尚美宅にいたBも申立人は普通に一人で歩いて来て車に乗り,降車してからも同様だったと述べている。

 車内では両脇を挟まれて座らされたとの点は,被疑者等がそのような認識はないと述べていることや,ワゴン車の乗車人員を考えると,真ん中に誰かが座らなければ全員が座れないという物理的な事情があったものと考える。

 簡易トイレは,尚美がトイレが近いことから常備していたもので,簡易トイレを使うことに申立人は拒んではいないし,新潟には今までもノンストップで行っており,このとき初めてノンストップで行ったものではないということ,遅い時間帯であることから,一刻も早く到着したいとの被疑者の言い分も,虚偽であると断定することはできない。

 ワゴン車がパレスマンション多門に着いたのは午前2時半前後と,静寂な時間帯であり,申立人が大声を出して助けを求めれば,多くの人達が異変に気付くことができたと思われるが,申立人は助けを求める行動を取っていない。


 パレスマンション多門607号室について

 申立人は,玄関ドアの内側からも開かないように施錠ができる装置が付いており,窓は全てストッパーで固定されており,開かないようになっていた。また家族が監視していたので,逃げることができなかったと述べている。

 被疑者等は,玄関ドアの鍵や窓のストッパーは普通の物で,特別な細工をしたことはない。家族で一緒に生活していただけであり,監視をしたことはないと述べている。

 検討した結果は,次のとおりである。

 このマンションには,平成7年9月12日から尚美が亡くなる平成9年6月22日まで住んでいた。申立人の供述調書には「窓が内側から開けられない状態であったので,玄関も内側から開けられないような鍵が付いているのかと思った。」と述べており,玄関の鍵の状態がどのようになっているのか見ていない。単なる推測による主張に過ぎない。

 このマンションで申立人と一緒に生活していたのは,尚美,被疑者後藤啓子(以下「啓子」という。),被疑者後藤洋子(以下「洋子」という。),被疑者青柳雅子(以下「雅子」という。)であり,隆は月に数回来ていた程度である。

 洋子は平成8年1月に体調を崩し,マンション近くの実家で生活をし,アルバイトの仕事に就いていた。尚美は平成8年3月に心臓病で倒れて入院し,以後,退院後はこのマンションに戻らず,東京の実家に戻っている。啓子は平成9年3月,尚美の入院に伴い,看病のため帰郷した(それ以前の平成8年3月以降,尚美の看病等のために不在にすることが多かった。)。洋子はときどき来ていたが,平成8年3月以降は申立人と雅子だけという状態が多かった。このことは申立人自身も認めている。

 申立人は手足を縛られていたわけではなく,行動は自由であったこと,申立人の身長は182センチメートル,体重約65から70キログラム前後であり,それに対して啓子は身長148センチメートル,体重36キログラム,隆は身長173センチメートル,体重63キログラム,洋子は身長158センチメートル,体重50キログラム,雅子は153センチメートル,体重39キログラムである。3人の女性と比較して申立人が体力的に圧倒的に勝っており,真実,脱出する意思があれば困難なことではない。女性らは食料品等の買い物等もあり,常時,部屋にいるわけではないし,部屋にいても掃除,洗濯等もしなければならないことから,その隙をみて脱出することも困難とは思えない。


 パレスマンション多門から荻窪プレイスマンションへの移動について

 申立人は,パレスマンション多門から荻窪プレイスマンションへの移動時に,被疑者から有形力の行使はなかったが,周りを取り囲まれて逃げることができなかったと述べており,被疑者らはこれを否定している。

 検討した結果は,次のとおりである。

 尚美と最後の対面をするためにパレスマンション多門を出る際,申立人は自分で見支度をし,自分で車に乗っていること。パレスマンション多門に戻るつもりだったので財布,自動車運転免許証を置いてきたと述べていること。これらの事実を考慮すると,父との最後の別れの日に逃げるという考えを持っていたということには疑問がある。


 荻窪プレイスマンション605号室について

 申立人は,605号室の玄関扉は内側から開けられない特殊な鍵が設置されており,被疑者等から監視されていたので逃げられなかったと述べている。

 これに対し被疑者らは,玄関のドアや窓は普通の鍵で何も細工はしていないし,監視したこともないと否定する。

 検討した結果は,次のとおりである。

 申立人の供述調書には, 「トイレに行った際に家族の隙を見てカーテンを払って玄関を見たところ,番号の付いた鍵が見えた感じがした。」と述べており,玄関の鍵の状態がどのようになっているのか確認しておらず,推測による主張に過ぎない。

 このマンションには9月22日から12月末までの期間住んでおり,申立人と一緒に住んでいた家族は,啓子,隆,洋子,雅子であるが,啓子は最初の1ヵ月間は葬儀等の後始末等で実家にいた。隆は昼間の時間は仕事で不在で,かつ埼玉の自宅との生活が半々の割合であった。

 昼間の時間,隆が不在であるということ,3人の女性のうち買い物等で誰かが外出すれば残る女性は2人だけであること,申立人は部屋の中を自由に動き回ることができたこと,これらの事実を考慮すると,これで監禁されていたと言えるか疑問である。


 荻窪プレイスマンションから荻窪フラワーホーム804号室への移動について

 申立人は,被疑者から有形力の行使はなかったが,被疑者や見知らぬ男性に見張られていて,逃げることができなかったと述べている。

 被疑者らは,申立人は荻窪フラワーホームに引っ越すことを承諾していた。隆の友人3人が来たが,統一教会からの奪還防止のために手伝ってもらったものであり,逃走防止のためではない。荻窪フラワーホームへの移動は自動車を使ったが,荻窪フラワーホームから離れた所に駐車をし,そこから歩いた。申立人を取り囲むようにして歩いたことはなく,家族が普通に歩いてマンションに入ったという感じである。道路には通行人もおり,申立人は逃げようと思えば逃げられたが,申立人に逃げようとする素振りはなく,通行人に助けを求めようと行動を取ったこともないと述べている。

 検討した結果は,次のとおりである。

 引っ越しは啓子,隆,洋子,雅子の他に男性3人がいたが,申立人を縛る等して身体を拘束しない限り,たとえ家族4人が取り囲んだとしても,街中での逃走を防止することは困難である。男性はマンションの前におり,申立人に付き添ってはいない。


 荻窪フラワーホーム804号室について

 申立人は,玄関ドアの取っ手の部分には鎖がかけられ,その鎖をつなぐ形で南京錠が取り付けられており,内側から開けることはできなかった。また被疑者らに監視されていて逃げ出せなかった。平成13年2月の1か月間,外に出ようと激しく行動したが,被疑者らに実力で阻止されたと述べている。被疑者等も玄関ドアのチェーン錠にその長さを短くするために南京錠をかけていたこと,窓のクレセントを鍵のかかるものに取り替えたこと,玄関とリビングの間の扉に鍵のかかるドアノブに取り替えたことを認めている。

 南京錠は,入居前に取り付け,取り外した時期ははっきりしないが,遅くとも平成10年5月のゴールデンウィーク前である。付けた理由は統一教会の信者が,親等と一緒にいる信者を奪還するためにチェーンカッター等でドアチェーンを切断する等して家の中に入って来て,信者を奪還するということを聞いていたので,それを防止するためにチェーンを短くしたものである。今まで住んでいたマンションに南京錠を付けなかったのに付けたのは,奪還する信者の住居を突き止める方法として,牧師等を尾行するということであるが,荻窪プレイスマンションでは,家族以外は出入りしていなかったこと,荻窪フラワーホームは統一教会杉並教会から徒歩で5分と近い場所にあり,被疑者宮村を尾行してこのマンションを突き止めることは容易であり,奪還の危険性が高かったので設置したものである。

 玄関とリビングの扉のドアノブを鍵のかかるものに取り替えたのは,平成12年末から平成13年2月ころまでである。これは隆が仕事に集中するために個室として使用するためであり,退職した後は,元のドアノブに取り替えたと述べている。

 平成13年2月の騒ぎは,監禁に抗議するというものではなく,そのころ申立人があまりにも不真面目な態度であったことから,話しかけないようにしていたことがある。それで申立人がイライラするようになり,大声を出したり,障子,襖などを壊して暴れたのである。その際,近所迷惑になると制止したが従わず,それで座布団やタオルで口を塞いだことはある。申立人が外に出たいと言ったことはないし,玄関に行こうとしたこともない。平成16年ころは,洋子と雅子の二人で申立人の手を引っ張って力ずくで外に出そうとしたことが何回もあったが,申立人が頑として座ったまま動こうとしなかった。何とか申立人を外に出そうとしたが引き籠もって外に出ようとせず,申立人とどのよう接したら良いのか悩んでいたと述べている。

 検討した結果は,次のとおりである。

 奪還防止のためとの被疑者の主張については,現実に統一教会の信者が,牧師を尾行して住居を突き止め,信者を奪還のためにドアチェーン錠を破壊して住居に侵入したという事件があったことから,被疑者の主張が不当なものとして否定することはできない。

 申立書には,誰が監禁されているか分からなければ救出手段を講じることができないとあるが,被疑者からすると,統一教会の組織を考えれば誰が住んでいるのかを調べ上げることは困難なことではないと考えても,理解できないことではない。

 鍵のかかるドアノブに取り替えたことも,隆の退職の時期とも合致しており,虚偽であるとは言えない。

 このマンションに平成9年12月末から申立人が追い出された平成20年2月10日までに一緒に住んでいた者は,啓子,隆,洋子,雅子の4人であるが,洋子は,平成10年の春頃から平成11年年末まで体調を崩して自宅に戻っており,マンションには週に2,3日の頻度で通っていた。平成12年3月には病気で3週間入院し,同年5月からはアルバイトを始めたので,平成15年末まではマンションには偶に行く程度で,平成16年2月ころからはずっと同居していた。隆は,仕事を平成13年1月で辞め,平成16年3月に就職するまでは一緒に生活していた。しかし1週間に1回以上は自宅に帰っていたし,マンションにいた日であっても,図書館等に出かけて不在のときもある。平成16年3月に仕事に就いてからは1,2年の間はマンションに全く行っておらず,その間,申立人とは一切会っていない。したがって啓子と雅子の3人だけの生活がほとんどであり,一人が買い物等で外出すると部屋には申立人と二人だけになる。啓子は内科,整形外科,眼科等の病院通い,雅子も通院やスポーツクラブに通っていたことから,二人だけという機会は少なくはない。

 マンションの点検等で修理業者等が部屋に入ったこともある。エアコンの取り付け業者,給湯管交換業者,配水管清掃業者,外壁工事等の多数の業者が出入り等をしていたが,申立人はこれらの人達に助けを求めたり,その際に脱出をしようとしたこともない。

 申立人は,業者が被疑者と内通している可能性があると考えたので,助けを求めなかったというが,それは自分の思い込みだけであり,1度も行動していないことを考えると,真実そのように考えていたのか疑問である。

 平成13年2月の行動を抗議行動というのであれば,何故この1か月間だけ行ったのか,どうして隆がいるときだけに行ったのか,より効果的な女性だけのときに行わなかったのか,みんなが寝静まってから行わなかったのは何故か,また脱出する意思があるなら,自分が今いる場所はどこであるのかを知ることは重要なことであるが,申立人はマンションを追い出されて初めて知ったと述べている。調べる気持ちがあるなら,配達された郵便物や新聞の領収書,電気の使用量の通知書等で容易に分かることであり,調べようとした形跡は,記録上認められない。

 平成16年,17年,18年の4月に断食を行ったことは事実であるが,被疑者は,断食は統一教会の行いの一つであり,一般的な言葉で言い換えると願掛けのようなものであると述べ,1回目の断食を行うに至った理由ははっきりしないが,申立人のトレーニングをしているかけ声がうるさいと洋子が注意したことから口論になり,それから断食を始めた。2回目はハングル語の教材の要求を拒否されたことから,3回目はノートを要求して拒否されて,それぞれ始めており,監禁に抗議してというものではなかったという被疑者の主張は理解できる。

 申立人は,統一教会の教えとして,家族に教え広めて手を差し延べる対象であることや,隆,洋子,雅子が教祖を裏切っており,当然天罰を受けることになるとの思いから,家族に誤解を解いて救いたいという気持ちがあったと述べており,そのために留まっていたものと考えられる。

 逮捕,監禁について,被疑者松永及び同宮村が関与したとする証拠はない。


(2)強要未遂罪について
 申立人は,被疑者等から統一教会の信仰を捨てなければ監禁を継続する旨脅迫され,棄教を強要されたと主張する。

 被疑者らは,統一教会を批判したり,棄教や脱会を強要したりしたことは1度もない。そのようなことは本人の信念を否定し,意思を無視することになり,人間関係を壊す結果,却って申立人の気持ちを頑なにし,逆効果になるからであると述べている。

 雅子が「こんな調子なら永遠にこのままだから」といった趣旨のことを言ったことがあるが,それは申立人の不真面目を批判し,申立人に真剣に考えて欲しい,家族が申立人のことを真剣に考えているということを知って欲しいという趣旨で言ったものであり,それ以上の深い意味はないと述べている。

 検討した結果は,次のとおりである。

 隆は,申立人の求めに応じて統一教会の本を購入して与えていること。また統一教会の勉強をすることは自由で,申立人は統一教会の教義である統一原理をノートに記載してまとめる等しており,これらをまとめたノート,メモ帳等は数十冊と多数であること。早朝祈祷をしても制止されたことはなかったこと,隆,洋子,雅子も統一教会の信者であったことから,強要して棄教をすることが出来ないということは十分承知していたことなどの理由から,脅迫して棄教を強要したとする申立人の主張は疑問である。


(3)逮捕監禁致傷罪について
 申立人は,逮捕,監禁により全身筋力低下,廃用性筋委縮,栄養失調の傷害を負った。1回目の断食のときは問題はなかったが,2回目の断食の後,約7か月間は少ない重湯とお粥しか与えられず,その後,普通の食事に戻ったが,3回目の断食の後,約70日間,重湯とポカリスエットしか与えられず,その後も粗末な食事を出されていたと主張する。

 被疑者は,2回目の断食終了直後の申立人の体重は45キログラムだった。断食の期間が長ければ長いほど普通食に戻すまでに時間が必要であり,食事は栄養バランスを考えて作っていたと述べている。統一教会のホームページや宣伝のビラで申立人の写真を見たが,申立人が風呂に出入りするときにパンツ一丁で出入りしている姿を見ているが,あのように痩せてはいなかったと述べている。

 検討した結果は,次のとおりである。

 入院した一心病院の内科病歴要約には,申立人の体重は39.2キログラムとあるが,同病院の医師作成の診断書には,「脱水が改善したと思われる入院後5日目でも体重は52.1キログラム」とある。栄養管理計画書の入院時栄養状態に関するリスク欄には,体重38キログラムとの記載が53キログラムと訂正されている。

 一心病院が作成した診療録等を検査した大学病院の医師の報告によれば,2月11日に体重が39.2キログラム,2月17日が52.1キログラム,2月24日が51.1キログラム,2月27日が53キログラムとなっているが,2月11日から6日後に12.9キログラムも増加するということは考えられず,体重値が誤っていると判断している。また一心病院で体重測定に立ち会った看護師は,体重を測る際,体重計に乗った後,倒れないよう手を貸したまま測定したと述べていることなどから,39.2キログラムとした測定結果には疑問がある。看護基礎情報では,入院時診断が「栄養失調」と記載され,身長の記載があるのに,栄養失調に重要な情報である体重欄の記載は空欄となっているのも不可解である。

 栄養失調の点について東京警察病院の管理栄養士によれば,後藤家での食事は,必要カロリーからは不足しているが,基礎代謝が著しく低下していると思われるので,外出せず,運動量が少なかったこと等から消費カロリーが通常より少なかったとすれば,直ちに健康を害するほどのカロリー不足だったとは思われない。血液検査の結果を見る限りは,深刻な栄養不良状態であったとは思えないと述べている。

 隆,洋子は平成7年1月に結婚した。夫婦はその8か月後から申立人の生活で別々に生活することが多く,新婚生活らしい生活をすることができなかった。

 雅子は29歳から41歳まで申立人と一緒の生活をしてきたが,友人と遊ぶことも,仕事も恋愛もできず非常に長く苦しい期間であったと述べているが,私達の全てをかけた12年間に後悔はないとも述べている。

 啓子は,一緒に生活していたときに申立人が使っていた品物を自宅に持ち帰り,その品物を見る度に申立人を思い出す。今頃どこで何をしているかしら,ちゃんと御飯を食べているのかしらと心配でたまらない。大切な息子が自分自身の人生を大事にして,ただ幸せに生きて欲しいと母として願っていると述べている。

 このように申立人のことを大事な,大切な家族として思っている被疑者らが,申立人に対して傷害を負わせたとすることについては疑問である。


4 結果
 本件が強要未遂,逮捕監禁致傷罪に当たるとするには,多くの疑問があり,よって議決の趣旨に記載のとおりの結論に至った。
平成22年10月6日
東京第四検察審議会